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2023年8月6日 D.ガルサンスフの詩集『半リアリスト詩』

  先日、本屋でD.ガルサンスフの最新詩集『Хагас Реалист Шүлэг』(半リアリスト詩)を購入しました。ちなみにモンゴルの本屋のオンラインストアでも購入できます( Internom 、 Azkhur )。  彼は90年代に出現した「モダニスト前線の戦士」として有名なモンゴル(ヤスタン 1 はブリヤート)の詩人です。ヘンティー県ダダル郡生まれで、10歳頃から現在に至るまでずっと詩作を続けています。彼の詩はその内容や表現の意味不明さから批判されることが多いですが、現代モンゴルにおける重要な文学者の一人であることは間違いないでしょう。  私が彼の詩に初めて出会ったのは、学部5回生の時に受講した阿比留先生のモンゴル文学の授業でした。彼の詩には、何となく全体に暗い心あるいは現代社会の闇、そして圧倒的な自意識が横たわっており(そうではない詩もあります)、今まで学んできた自然や伝統を賛美する他の詩人とは一線を画していました。とはいえ、彼は伝統や自然について語ることを拒否しているのではなく、実生活の中で感じたものを自分のことばで表現しているように(少なくとも私は)感じます。  さて、今回は題名と同名のタイトルをもつ詩を翻訳してみました。念のためモンゴル国の著作権法を確認したところ、同法第三十八条第1項内に「学術調査、研究、トレーニング、批評のためなら他人の著作物を利用していいよ」「個人的な使用の範囲内だったら他者の著作物を利用していいよ」と記載されていました。というわけですので、1編の詩の翻訳と収益化していない個人ブログでの公開は、上記の範囲内と考えられるので大丈夫でしょう。  下記の和訳は非常に拙く、モンゴル語の韻や面白さをうまく反映できていないところが反省点です。この詩は19世紀~20世紀の文学の潮流をある程度踏まえていないと意味が分かりづらいのですが、ガルサンスフがどういう人に憧れているのか、自分をどんな人だと捉えているのかを知るよいきっかけになる詩だと思いました。 「半リアリストの詩」 エクスプレッショニズムの道へ進んだことから様々に紡ぐトラークルのように インプレッショニズムで始まるのであれば快復しないヴァン・ゴッホのように ダダイストたちを追ったことから再び子どもになるツァラのように ディル・ブル・シュルといった無用なことばに引っかけさせる未来派主義者のよ