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【モンゴル旅行する人へ】ウランバートル市内でのPCR受検の流れと注意(2023年3月18日更新)

本記事では、モンゴルに旅行で来た人が日本帰国前にPCR検査を受検する方法とその際気を付けるべきことについて紹介します。 以下に書かれたことは全て2022年7月時点の情報ですので、 以下でご紹介するのは、2022年7月に投稿した文章に、2023年3月に知り合いの日本人旅行者が受検した際の経験談を基に修正・追加した情報です(赤字)。 渡航の際は、日本の厚生労働省や在モンゴル大使館のサイトをご自分でも確認することを推奨します。 記事目次 1. この記事で想定している旅行者 2. 受検の流れ:ITラボを例に  2-1. ITラボ基本情報  2-2. ITラボでの受検の基本の流れ(公式情報)  2-3. ITラボでの受検の流れ(経験者の話を基に)  2-4. 受検時の注意 3. 補足情報 1. この記事で想定している旅行者 ・遅くとも帰国前日の朝までにはウランバートル市内にいる ・英語またはモンゴル語がそれなりに話せる ・モンゴルの電話番号も銀行口座も持っていない ※モンゴルの電話番号と口座を持っている人は他の病院でも受験可能です。詳しくは 在モンゴル日本国大使館の公式サイトトップページ の「新型コロナウイルス感染症について」欄を確認してください。 2. 受検の流れ:ITラボを例に 2022年7月時点で、モンゴル旅行者が受検できる且つ日本の厚生労働省の様式に転記してくれる病院はIT Laboratory(以下ITラボ)くらいしか見つかりません。 2023年3月18日追記:他の病院でも、事情を説明すれば 日本の厚生労働省の提供する証明フォーマット に転記してくれます。しかし、UB市内で受検する場合は日本人のPCR検査実績を多数持つITラボが安心かと思います。 そういう訳で、以下はITラボでの受検の流れについて、日本大使館サイトの「 日本へ帰国・入国する際に有効と認められる陰性証明書をモンゴルで取得する方法 (令和4年6月10日現在) 」と私の周囲の受検者の経験に基づいて説明します。 2-1. ITラボ基本情報 ITラボ公式Facebook (基本的にモンゴル語のみ) ITラボ公式サイト (モンゴル語のみ) 2-2. ITラボでの受検の基本の流れ(公式情報) 日本大使館サイトの上記記事に掲載された ITラボの公式PCR受検説明 と公式FBの情報に沿って紹介します。 【場所】モンゴ

2022年6月24-26日 セレンゲ県スフバータル旅行 1. モンゴル縦貫鉄道編その①:列車紹介

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 週末を利用して、ロシア国境に近い町であるセレンゲ県スフバータル *1 に行ってきました。今回の旅行の目的は、①養蜂場見学、②地方の風景を楽しむことです。モンゴル暮らし9ヶ月目にしてようやく地方に行くことができました。  セレンゲ県はモンゴルで最も養蜂家が多い県と言われています。ウランバートルからの移動手段はモンゴル縦貫鉄道の列車だったのですが、ウランバートル~スフバータル駅間の線路沿いにも養蜂場を見ることができました。  この旅行では書きたいことがいっぱいあるため、内容で分けて投稿したいと思います。今回は移動手段について記録する「1. モンゴル縦貫鉄道編その①:列車紹介」です。  モンゴルの鉄道について詳しく知りたい方には、 日本人のモンゴルの鉄道ファンによるマニアックなサイト の閲覧をお勧めします。この記事を書く際にお世話になりました。 1. モンゴル縦貫鉄道について  1947年、旧ソ連の支援の下でナウシキ(ソ連側国境)~ウランバートル間の鉄道建設が始まったのがモンゴル縦貫鉄道の端緒です。今回の旅行の出発地であるウランバートル駅(以下UB駅)は1938年に、目的地のスフバータル駅(SB駅)は1949年に運営開始しました。1952年、モンゴル人民共和国(当時)、ソヴィエト社会主義共和国連邦(当時)、そして中華人民共和国の三政府間でウランバートル~エレンホト(中国側国境)の広軌鉄道の建設が合意され、1956年に上記区間が開通し現在の姿になりました。また、同年にモンゴル縦貫鉄道を経由して北京とモスクワを結ぶ国際列車が開通しました。  道路網整備が遅れているモンゴルにとって、縦貫 鉄道を含むモンゴル国内の鉄道は、建設以来国内外の輸送に重要な役割を果たしています。現在、縦貫鉄道を運営するウランバートル鉄道だけで国内輸送の70%を担っています。  ウランバートル鉄道は、モンゴルと旧ソ連が50%ずつ出資して発足した合弁会社です。それを表すように、ウランバートル駅舎の中には両国の旗が飾られています。 駅舎中央の内部にある会社のマークと国旗。ここの空間は待合室になっている。  しかし、旧ソ連崩壊後は援助が停止され必要物資の調達が困難となり、物流が滞り国の経済に悪影響をもたらしました。 モンゴル政府はこの問題を解決するために 日本に協力を要請しており、日本は1990年よりODA予