2022年5月1日 麗しの「我が故郷」
現在、日本の外務大臣がモンゴルに訪問中です。ウクライナ情勢の事態改善を主な目的として中央アジア諸国+モンゴルを訪問しているようです。モンゴルに関して言えば、日本とモンゴルは今年外交関係樹立50周年を迎えたため、その一環としての訪問という側面もあります。
外務省HPに掲載されている大臣の寄稿文の冒頭は、モンゴルの偉大な詩人D.ナツァグドルジの最も有名な作品「我が故郷(Minii nutag)」の第一段落です。この詩はモンゴル国民であれば、誇張ではなく知らない人はいない程有名かつ重要な詩です。ヘンティ、ハンガイ、サヤン*…、メネン、シャルガ、ノミン…と、モンゴル国内の美しい里々の地名がリズム良く連なり、詩を通して母なる地を目の前に浮かび上がらせます。安易に散文でモンゴルの自然を褒めたり、チンギス・ハーンや相撲などステレオタイプな単語を出すよりも、この詩を文章の冒頭に置くことによりモンゴル人の心をぐっと掴む文章になったのではないかと思います。
私自身は、文学はそれ単体で美しく、役に立たせようとして学ぶのは文学を読む姿勢としていかがなものかと考えますが、今回の寄稿文やウクライナのゼレンシキー大統領の各国に向けた演説文を見て思ったことがあります。外交を含む「人との関係を築く」営みにおいて、教養は必要なものです。相手の住む社会で広く共有されている精神世界構成物を知り、時宜を得た使い方をすると「こいつ、分かってるな」とその相手は感じることでしょう。そう思ってもらうと、一気に心を掴むことができ、相手の世界を開いて多少なりとも受け入れてもらえ、また反対にこちらの話を聞いてもらう下地を作ることができます。その意味で、この文章を考えた人たちはモンゴルのことをきちんと学んだ「分かっている」人たちだと、歴は浅いですがモンゴル関係の勉強をしている私は唸りました。
個人的な話になりますが、この詩の一段落目は私が数年前に主催したモンゴル語スピーチコンテストの暗記課題文でした。課題文にこれを選んだのは、(そもそも私がモンゴル文学の知識が浅く有名どころしか知らないというのが大きいのですが)、モンゴル語の美しさの神髄を最も良く発揮するのは詩であり、また、その中でもモンゴル人にとっての「裏国歌」とも言えるこの詩を知ることで、初めてモンゴル語を学んだと言えるのではないかと考えたためです。
Ene bol minii tursun nutag, Mongolyn saikhan oron(これが、我が生れし故郷、麗しきモンゴル)と、全ての段落の最後の一行にはこの力強い一節が置かれています。私はこの節の中に、国家(政府)に対する愛国心なんかではなく、自身の生まれた土地に対するモンゴル人たちの愛「郷」心を見出しています。モンゴルには、時の政府が間違えた政治を行えば批判する意思と自分の生まれた土地に対する愛を持つ人が多く、それが私がモンゴルを好きな理由の一つです。
*外務省HPの寄稿文ではソヨンと書かれていますが、原文ではSayan(サヤン山脈)です。引用元の詩の訳文が間違えていると予想しています。関係ないですが、モンゴル国では出会ったことがないものの、モンゴル系の名前でサヤンという名前があります。地名を人に名付けることもあるようです。それか、サヤンは何か意味のある単語でそれが山脈に付けられたのでしょうか。
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