2023年2月18日 ブリヤート民謡コンサートで5年越しの再会(ほぼ思い出語り)
【注意:今日の記事は思い出多めです。一文でまとめると「青春の思い出(?)が蘇ってジーンとしました。」という内容です。】
ブリヤート民謡コンサートやるってよ
ぼーっとSNSを眺めていると、相互フォローであるブリヤート・モンゴルのナショナリストのネットの知人が下記コンサートの写真や様子を投稿していました。
「Torgony khee(絹の文様)」という馬頭琴とブリヤート民謡のコンサート
"Торгоны хээ" Морин хуурын чуулга - TICKET.mn(チケットサイトに飛びます)
本コンサートはモンゴル国立馬頭琴楽団が定期的に行っているモンゴル系の各集団の民謡を特集するコンサート「Торгоны хээ(絹の紋様)」の一環で開かれたものでした。第1部は馬頭琴楽団による演奏(ブリヤート関係なし)、第2部はブリヤート人歌手と馬頭琴楽団によるブリヤート民謡の演奏といった構成でした。
ナショナリスト青年の投稿を「ふーん、ブリヤート民謡のコンサートが昨日あったのね、知ってれば行ったかもなあ」位の気持ちで見ていたところ、歌手の集合写真の中に非常に見知った顔がありました。S氏(探せばすぐわかるけど一応仮名)です。
彼とはリアルではあったことがありません。彼は私の留学中の知り合いの親友で、ブリヤート留学をしている私を珍しがってFBに友だち申請を送ったことが始まりの、日本人モンゴル関係者あるあるのインターネッツフレンズです。最後の連絡から3年は経過していたので、久しぶりに彼の顔を見て驚きと懐かしさでいっぱいになりました。
コンサートへ
彼との思い出 on Internetは後で書くのでひとまず置いておきましょう。上述のナショナリスト青年が「コンサートは今日(18日)もやってるよ」と教えてくれたので、私は速攻でチケットを購入し、一人だと心細いので友人を誘いコンサートへ向かうことにしました。テンションが上がっていたので、返信なくてもいいやくらいの気持ちでS氏にコンサート頑張ってねというメッセージを送りました*1。
会場はモンゴル国立フィルハーモニー(中央文化宮殿小ホール)でした。
建物は中央文化宮殿と同じですが、入り口が異なるので注意。
フィルハーモニーのゲート。入口は奥に進んで右のドア。
このホールは昨年末に日本の支援で改修工事が行われました*2。
コンサート第2部のブリヤート人歌手はM.Amarsanaa(文化功労者、モンゴル・ブリヤート中央協会幹部、モンゴルの音楽バンド「ニュアンス」メンバー)、B.Nomin-Erdene(モンゴル劇場開発アカデミー出身者)、B.Shinebayar(文化芸術大学出身者)、B.Ariunbat(初耳)の4名でした。かなり豪華なメンバーですし、大御所アマルサナー氏がいて私は腰を抜かしました。
第1部で馬頭琴の音色と指揮者の長めの解説(というより語り?)を楽しんだ後、休憩を挟まず第2部へ突入しました。一発目の演目はブリヤートの結婚式の祝詞だそうで、歌手は…うわー!お前じゃないか!!私は第2部の最初からテンションマックスになりました。口上から祝詞から何から何まですべてブリヤート語で行われ、一気に私の心は5年くらい前の留学時代に引き戻されました。関係ないけど指揮者兼司会のおじさん、曲合間の解説の時に「ブリヤート語全然何言ってるかわからない」って言いすぎな。観客の半分は多分ブリヤート人だからな。
5年前の俺たち
さて、S氏と私には、5年くらい前にFBで繋がった後になぜか2年弱くらいほぼ毎日チャットをしていたという謎の関係があります。内容は基本的には「やあ元気?」「元気だよ兄さん(S氏の方が年上)」「今日何してんの」「学校」というたわいもなさすぎるものでした。ですが、彼は結構な頻度でブリヤート語でチャットやボイスチャットをしてくれたので、留学終了後、日本で話す/書く場に飢えていた私にとってこのチャットのやりとりは非常に楽しい時間でした。(あと彼が結構かっこよくエエ声だったのもあってガチ恋しそうになった。危ない危ない。一回だけ実際に会えそうになった時があったけど諸事情で対面はできなかった。今となってはいい思い出です。)
ある程度お互いの身の上を話す中になった頃、彼はその道一本ではないものの歌手の仕事もやると教えてくれました。私はもともとブリヤート音楽が好きでFBやYouTubeでよく聴いていたところ…うわー!!S氏っぽい人が出てきた!!その動画がこちらです。
(ブリヤート共和国文化省等が運営するSoyol.RuのFBアカウント)
この動画は恐らく2014年に開催されたアルタルガナ(ブリヤート人の国際的な祭典)の歌部門で撮影されたものだと思われます。伴奏はアコーディオンのみでシンプルですが、どことなく懐かしいメロディーと彼のエエ声のお陰でこの曲を気に入りました。しかし、この曲は聴いたことがなく、ついでに歌詞も聞き取れなかったので調べようがありませんでした。また、VKのブリヤート音楽歌詞共有グループにもありませんでした。なので、手っ取り早く歌っている本人に聞いてみようと思って聞いたところ…。
S「これはҺайханийнь бэ(原文ママ。haikhaniin' be)っていう歌だよ。歌詞の内容なんだけど、自分の将来における生活の意味を教訓や白檀の木に喩えて、書いたことについて述べたものなんだ。歌全体の意味としては、これまで良い人になるよう道徳的に育ててくれた父母への感謝。
S「俺の歌った歌は教えの歌(сургаали дуу:原文ママ。surgaali duu)。」
私「この歌YouTubeで見つからないんだけど?」
S「ないよ。だれかが内緒で作曲したんじゃないかな。俺も知らなかった。」
私「私この歌好き」
S「嘘言えよ、これあんまりいい歌じゃないだろ」
私「嘘じゃないよ、本当に良いと思ってるよ」
S「へへ、それならいいけど」
(2019年のチャット)
ブリヤート人セミプロ歌手ですら知らないどマイナーな歌のようでした*3。かなり気に入ったのに、唯一の音源がFBに投稿されていた切り取り動画しかないという悲しい状態になってしまいました。
それ以外にもS氏とは色々やりとりをしていたものの、時間の流れで疎遠になり、その歌の名前も意味もその歌の存在自体もほとんど忘れ、5年の月日が経ちました。
蘇った幻の歌
結婚式の祝詞の後、4名の歌手がかわるがわる様々な歌を歌い、再び彼が舞台に立ちました。馬頭琴楽団による伴奏が始まりどんな歌かなと思っていると…2023年のモンゴルの舞台で、忘却の彼方にあった「haikhaniin' be」があの動画の歌手本人の声でよみがえり、5年越しの再開を果たしました。最初の一節が耳に飛び込んできた瞬間、歌詞は相変わらず聞き取れなかったけれど、懐かしい音の連続で、しかもフルで聴くことができて、全身がゾクゾクしました。
「haikhaniin' be」以外にも、「Yokhor(Ёохор)」やブリヤート第二の国歌とも言われる「Toonto nyutag(Тоонто нютаг)」等、ブリヤートにいたことがある人なら一度は聴いたことのある歌が演奏され、非常に満足なコンサートでした。終演後声をかけようかなと思いましたが、演者が出てこなさそうな雰囲気だったので今回もリアル対面はせずに帰宅しました。
帰宅後、S氏に「あの歌聴けて嬉しかった!」とかつてのようにブリヤート語で連絡したところ、「この曲知ってたの?さすが!ブラボー」とブリヤート語で返ってきました。お互い5年前のこの歌についてのやりとりをさっぱり忘れていたのですが、かなり思い出深い「再会」となりました(この記事を書くためにチャットを掘り起こすまで歌の意味を質問していたことを忘れていました)。
コンサートのお陰で心地よい衝撃を受けた現在の密かな目標は、「haikhaniin' be」を自力で聞き取り意味を理解できるくらいブリヤート語力を上げることです。がんばるぞ。
*1 秒で既読が付きました。なんなら電話もかかってきました。びっくりしたので切り応援メッセージだけ残しました(ごめんなさい)。
*3 2023年現在も管見の限りではYouTubeはおろかGoogleで検索しても見つからず、コンサートレベルではいまだにS氏しか歌ってない可能性が高いです。そういえば、なんで知らなかった曲をアルタルガナという大きな大会で歌うことにしたんだろう?本人はいい歌じゃないと言っていたにも拘わらず今回のコンサートでも歌っているということは、実は結構気に入っているのでは?
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