2023年2月24日 チベット仏教の旧正月:ブリヤート共和国とモンゴル国での体験
旧暦のお正月(旧正月)といえば中国の春節が有名ですが、モンゴルを含むチベット仏教圏にも旧正月が存在します。チベット仏教旧正月は中国の春節とは異なる暦を使用しており、その年の旧正月期間はラマが占って決めます。
モンゴル国や、ロシア内のブリヤート共和国、カルムイク共和国及びトゥヴァ共和国等のチベット仏教圏において、旧正月は祝日とされています。少なくともモンゴル国においては、新年以上に長い祝日が割り当てられることもあり、西暦正月以上に「正月」の雰囲気が感じられる期間です。また、ロシアの春祭マースレニッツァ(масленица, maslenitsa)と時期が近く、ロシア連邦のチベット仏教圏では各民族の祝祭が続き、春の訪れを感じる時期でもあります。
ちなみに、旧正月はモンゴル国ではツァガーンサル(цагаан сар, tsagaan sar)、ブリヤート共和国ではサガールガン(сагаалган, sagaalgan)、カルムイク共和国ではツァガンサル(цаган сар, tsagan sar)、トゥヴァ共和国ではシャガー(шагаа, shagaa)、そして本場チベットではロサー(lo gsar)と言われます。
2023年のチベット仏教旧正月の元旦は2月21日でした。
モンゴル語で元日はshiniin neg(新月1日)、2日目はshiniin khoyor(新月2日)、そして3日目はshiniin gurav(新月3日)と言い、この3日間はモンゴル国では国民の祝日となります。2023年のモンゴル国旧正月(以下ツァガーンサル)は21日(火)~23日(木)で、この3日間はあらゆる公共機関や多くの会社・お店がお休みになりました。今年のツァガーンサル休みはあいにく前週と後週の土日に連結しなかったのですが、20日(月)と24日(金)は休む人が多く(特に地方帰省勢)、実質先週土曜から今週日曜までがツァガーンサル期間となっています。
さて、私は今年初めてモンゴル国のツァガーンサルのご挨拶訪問(ゾチロフ зочлох, zochilokh)をしました。5年前の留学期にご挨拶したブリヤート共和国のサガールガンの様子とはまた異なり面白かったので、本日はブリヤート共和国のサガールガンとモンゴル国のツァガーンサルの過ごし方について、私が経験した範囲内で書いていきます。
ブリヤートのサガールガン
この項は、2019年2月14日~17日に体験したことを基にしています。写真は当時自身で撮影したものです。
①浄化祭(ドグジューバ)
ブリヤートのサガールガンは、大晦日の前日に家族で集まり正月料理に舌鼓を打ち、ドグジューバ(дугжууба, dugjuuba)と呼ばれる浄化祭を行うことで幕を開けます。ドグジューバは、旧年の穢れを落とし新年に備える行事です。
ドグジューバの日の午後、ウラン・ウデ市在住のブリヤート人の友人が自宅に招いてくれました。このご家庭は母子家庭とのことで、こじんまりとサガールガンを祝っていました。この訪問では、正月料理とドグジューバのお参りを体験しました。食事の際は正月挨拶の儀式らしいものを特に行わず、ブリヤート語で「サガールガナール」(Сагаалганаар, Sagaalganaar)と軽く挨拶をし食事を楽しみました。ちなみに、服装は母子とも洋服でした。
ブーザ、トボローグ、
ハム、チーズ、ピクルス等を和えたサラダ、
ラディッシュ?サラダ、お菓子、ミルクティー*1等
夕方、チベット仏教寺院ダツァン(дацан, datsan)にお参りに行きました。この時訪れたのは市の北側の丘にあるリンポチェ・バグシャ・ダツァンです。ダツァンには人が敷地いっぱいおり、敷地には木をテントの骨組みのように組んだ大きな焚火が用意されていました。この焚火は浄化の儀式用で、その焚火に自分の顔を拭いた紙ナプキン等を入れ、太陽の回る方向に焚火の周囲を3回程回るという儀式を行いました。友人曰く、本来は旧年に使用していたタオル等を入れるが、使用済み紙ナプキンを入れた簡易バージョンでもOKとのことでした。その儀式が終わると、本堂でお祈りを行い、ブリヤート語でヒーモリン(хийморин, khiimorin)という馬の描かれた色とりどりの四角い布*2の奉納をしました。ちなみに、ダツァンにお参りに来ていた人々は基本的に洋服で、ブリヤート服を着用する人はあまり見かけませんでした。
この後友人と別れ、当時お世話になっていた大学の日本語教師のブリヤート人の親戚の家へのご挨拶に同行させていただきました。先生の親戚の家はバイカル湖東岸に近いロシア人の村の中にありました。お宅には親戚が数人集まっていました(関係は忘れた)。集まっていた皆さんの服は洋服でした。年長男性が乾杯の際に新年のあいさつを軽くブリヤート語で行い、それ以上の挨拶の儀式はありませんでした。夜は先生のご実家にお世話になりました。
ブーザ、BBQ風の肉野菜炒め、パン、チーズ
ワイン、シャンパン、ウォッカ、ミルクティー等
➁大晦日
サガールガン前日には、先生の招待でその村の学校(小~高で構成される旧ソ連型の学校)に行き、私と一緒に旅行に招かれた新疆出身のカザフ人と一緒にそれぞれの国や地域のお正月について紹介するプレゼンを行いました。また、生徒は大晦日ということで、サガールガンやブリヤート文化について発表する会を開いてくれました。発表役の生徒数名はブリヤート服を、それ以外の人は学校制服を着用していました。生徒のほとんどはロシア人でしたが、ブリヤート語の旧正月用ユルール(祝詞)を発表していた生徒はブリヤート人でした。その子が堂々かつすらすらとユルールを述べていたのが印象的に残っています。発表会の場で提供された食べ物は、プレッツェルやお菓子でした。
青いデールを着ているのはジェットマローズをブリヤートナイズしたキャラクター
学校訪問後、先生・先生の娘さん・カザフ人・私の4人でバイカル湖に行きました。先生は、「ブリヤート人は毎年必ずバイカル湖に行ってエネルギーをもらう。バイカル湖はブリヤート人にとっての母の地のようなもの」と教えてくれました。バイカル湖参りはサガールガン必須の行事ではありませんが、この休みを利用して来る人もいるようです。
夕日が落ちきる前に、村を出発してウラン・ウデ市へ戻りました。
③当日
サガールガン当日は、ドグジューバでお世話になった友人がウラン・ウデ在住の親戚宅の正月の集まりに招いてくれました。この日のこのご家庭の訪問客は、友人、友人母、私のみでした。友人やそのご家庭の奥さんと一緒にボーズを蒸したり正月料理を一緒に準備しました。このお宅の正月料理はさっぱり系が多かったのが印象的でした。服装はやはり洋服でした。
友人の親戚宅の正月料理
ブーザ、牛肉の薄切り、プレッツェル
トボローグ(ロシアのカッテージチーズ)、
生野菜サラダ、フルーツ、シャンパン、ミルクティー等
④2日目
この日は、中国フルンボイル出身のシネヘン・ブリヤート人の友人と共に、リンポチェ・バグシャ・ダツァンに初詣に行きました。私はオーダーメイドで作ってもらったブリヤート服を着用して行きましたが、友人は洋服でした。その他の参拝客も洋服が目立ちました。友人と共にヒーモリンを購入し、名前を書いたそれを柱に結びつけた後、本堂と敷地内を回りました。
この日印象的だったのは、乗っていた満員のマルシルートカ(旧ソ連圏によくある乗合小型バス)の運転手が、ダツァンまであと数停留所と言うところで「みんなダツァンに行くんだよね?!」と叫び、ダツァン直進ルートに変更しようとしたことです。ただしその時は一人の小さい男の子が「Неееет(ちがーう)!!」と叫んだので、その子が下りるまでは普通に運行しました。その後、マルシルートカは通常ルートから外れてダツァンの丘めがけて爆進し、乗客のテンションは非常にあがっていました。そういうサービスするんだなあ。
⑤3日目
この日は馬頭琴レッスンの後、レッスン場所提供をしてくれていた友人家族宅で正月料理を楽しみました。この日は私と馬頭琴の先生以外の訪問客はいませんでした。服装は全員洋服でした。馬頭琴の先生の友人と場所提供してくれた友人がブリヤート語でのサガールガン挨拶のお手本を見せてくれたり、友人たちにウォッカをかなり飲まされたりと非常に楽しい時間を過ごしました。
ブーザ、ハム、牛肉の薄切り、
ポテトサラダ、パン、スメタナ
みかん、ウォッカ、ミルクティー等
真ん中の空きスペースにはブーザを載せたお皿があった
ブリヤート語によるサガールガン挨拶のお手本
※皆酔っ払っているので笑い声がいっぱい入ります
モンゴルのツァガーンサル
この項は、2023年2月21~22日に体験したことを基にしています。
①大晦日(ビトゥーニーウドゥル)
モンゴル国のツァガーンサルの前日はビトゥーニーウドゥル(битүүний өдөр, bituunii udur)といい、夜寝ずに年越しをする日です。この日にやっていけない禁忌事項*3があるので、それを侵さないようにしつつ、家族と共にボーズやバンシ等の大晦日料理を食べながら過ごすようです。ちなみに、大晦日や正月期間に食べるボーズ等は数週間前~ビトゥーニーウドゥルまでに準備しておきます。ご家庭によってはボーズを1000個以上用意するそうで、モンゴルのSNSの一部はボーズ作り合戦の様相を呈していました。
➁当日~三が日
当日から三が日までは親戚や友人等の家にモンゴル服(デール)を着て新年挨拶をしに行きます。この新年挨拶に訪れることをゾチロフ(зочлох, zochilokh)と言います。ホストとして客を迎えるのは、長男の家や、親戚の中で年長に当たる者の家庭となります。若い家庭や次男以下の家庭の構成員は、長男宅の手伝いをしたり、親戚の家を巡る役回りとなります。特に長男宅の嫁や親戚の中でも比較的若めの女性は、食事の準備・提供・片付けに従事することが多いです。回る順番をモンゴル人の知人に質問したところ、1日目は主に親きょうだいの家、2日目以降は遠くの親戚や友人宅の家というような順で回る人が多いとのことでした。
今回私がお邪魔したのは、同行した日本人がお世話になっているモンゴル人のお宅(A宅)と、私の職場のモンゴル人のご両親のお宅(B宅)の2軒でした。A宅のホストの方には兄弟が多く、私の滞在中に訪問客が絶えることはありませんでした。恐らく滞在中のトータルで30名近くのゲストを迎えていたかもしれません。B宅はホストの息子たちの家族及び友人が手伝いやゲストとして来ており、滞在中のトータルで30名近くいました。以下はこの2軒で観察したことを紹介します。
まず、AB宅で共通したゾチロフの儀式をご紹介します。
家に訪問したゲストは、まずはホスト男性に挨拶を行います。ホスト男性に「アマルバエノー」(Амар байна уу, Amar baina uu)と言いながら腕を添え、両頬に軽くキスをするポーズをとるのがモンゴル国の旧正月挨拶です。この挨拶を他のホスト側メンバーやゲスト相手に繰り返します。ホスト用の贈与品(お酒、お金等)を持参している場合、挨拶の言葉を言うタイミングで渡します。
その場にいる全員へ挨拶を終えた後は、テーブルにいる人と会話をしながら、炊き込みご飯、ボーズ、ニースレルサラダ(じゃがいもと人参等を混ぜたサラダ)、乳製品等を頂きます。ある程度ゲストの人数がそろうと、ホストが音頭をとって全体に向けて新年の幸福を願う挨拶を行い、皆でウォッカショットをあおります。
B宅では成人にはシミンアルヒ(蒸留乳酒)やアイラグ(馬乳酒)が一つの大きめのお椀を回し飲みする形でふるまわれました。A宅には歌や楽器が上手な親戚が訪ねてきて、ゲストがみんなで歌を歌う場面が生まれました。
一日に数件回る人は、ある程度会話を楽しんだところで切り上げて次の家へ向かいます。
B宅の正月料理
ヘビーンボーブ、炊き込みご飯、ニースレルサラダ、ボーズ、
羊の丸焼き、肉の薄切り、チーズプラッター、ウォッカ、ジュース
B宅のホストは今年70歳のため7段。ホストが若いと3段や5段になる。
モンゴル人にとって奇数は吉祥なので必ず奇数で積む。
さて、ホスト宅での女性の立ち回りについて印象的だったことがあります。A宅にゲストとして訪問にきた比較的若めの夫婦の妻(夫がホストの弟)は、挨拶を終えるとほどほどのタイミングで離席し、デールから洋服に着替えて食事の片づけを手伝い、夫の挨拶がある程度終わると、夫と共に別の家へ向かいました。女性はゲストであっても裏方に回る場合があるのだと驚き、日本の昔あるいは地方のお正月を思い起こしました。
未成年の処遇について、AB両宅においてメインテーブル席に座らせることはあまりありませんでした。子どもたちは基本的には別の部屋で遊んでいたり、食事準備の手伝いをしていました。遊びについても、シャガイ等伝統的な遊びの他、かくれんぼ、ゲーム機やスマホのゲーム等と様々でした。こういった親戚の集まりの際の子どもの処遇も、日本の正月と似ているなと感じます。
まとめ
以上、私がブリヤート共和国とモンゴル国で体験したチベット仏教旧正月でした。
ブリヤート共和国では、ロシア化及び近代化により強い伝統色は抜けているように感じました。特に都市部では大規模な親戚訪問は行われない等簡素化されているのを感じました。正月料理として提供されるものもモンゴル国と比較するとさっぱりした品目が多く、サラダ、果物、パンが目立ちました。とはいえ、あくまで私が体験した家庭での話なので、地方や家庭によってはブリヤート服を着用したり、挨拶の儀式をやっていたり、料理もガッツリ系かもしれません。
また、ここ数年、特にロシアによるウクライナ侵攻以降はロシア内のアジア系民族の間でナショナリズムが盛り上がりを見せており、ロシア人からの差別化のため民族的行事や文化を強調する傾向にあります。そのため、例年より各民族語を使用して旧正月を祝う投稿をする若者が増えたようにも感じます。
モンゴル国では、一昨年及び昨年はコロナ対策としてゾチロフを控えていた反動で今年は豪華になっているとも、コロナ禍の控えめで楽な旧正月を体験した特に女性や若者が派手を嫌うようになったとも言われています。私の観察範囲では、前者の意見は比較対象がないので分からないものの、後者については当てはまるように思います。40代の知り合いの女性が、「コロナの時の正月がいいな…ボーズあんまり用意しなくていいし、親戚来ないし…」と言っていたこと、及び20代の友人がSNSでツァガーンサルに関する投稿をせず「Tiktokを見る私(笑)」と書き込んでいたのが印象的でした。
コロナ時代及びロシア・ウクライナ戦争が、モンゴル世界の旧正月習慣の分水嶺になるのかもしれません。
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*1 都市ブリヤート人のスーテーツァイは塩なしで、ほぼミルクティーと同じ味がします。
*2 チベット語でルンタ(風の馬)。ヒー(風)モリン(馬)はその直訳。
*3 他人の家に宿泊してはいけない、犬を叩いてはいけない、赤ちゃんの名を呼んではいけない等。詳しくは参考で紹介したニュース記事を参照(モンゴル語)。
参考
大晦日の習慣|gogo.mn(モンゴルの大手ウェブニュースサイト)https://gogo.mn/horoscope/mongolian/eve
チベットの正月| Izumi Hoshi@ILCAA,TUFS. http://www.aa.tufs.ac.jp/~hoshi/bunka/nenchu/tibet1.html
東スラブ最大の春祭り、マースレニツァ|LOTTE HOTELS & RESORTS MAGAZINE https://www.lottehotelmagazine.com/ja/travel_detail?no=534
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