2023年3月24日 ウランバートル療養日記1:罹患までの道のり編~私がUBで気管支炎と喘息に罹るわけなんてない!~
※現在の体調は、未だに咳と喘鳴音は続き、若干発熱はしているものの、自宅で頭を使わないでPCをカチャカチャする程度(日記執筆とか)ならできるくらいです。最悪の時は乗り越えたのでご安心ください。
3月21日深夜24時頃、急な気道の狭まりを感じました。横になると気道がさらに狭まるので満足に眠ることができませんでした。藁にも縋る思いで、呼吸が楽になる体勢をネットで調べてうつ伏せ寝を試してみたり、うつむいて座ってみたりしました。どれも多少マシにはなるものの息苦しいことには変わりなく、気力を振り絞って職場のお医者さんにチャットしました。翌朝お医者さんから返信があり、市内の病院で検査する?と言われたので速攻で検査をお願いしました。
翌日、外国人も受診可能な、市内でも最大規模の私立病院で検査をしてもらえることになりました。昼に検査のため出発した時は、呼吸困難が悪化し、建物から出て車に乗るだけの動作も命がけで、酸素が足りなくて死ぬかもしれないと本気で考えました。夕方に検査結果が出され、夜にその結果を基に職場のお医者さんに診察してもらいました。
結果、気管支炎かつ喘息と診断されました。
ウランバートル療養日記:罹患までの道のり編
~私がUBで気管支炎と喘息に罹るわけなんてない!~
1. これまでの経緯
呼吸困難に陥るまでに何も前触れがなかったわけではありません。ここに至るまで約4ヶ月の道のりがあったと考えています。この4ヶ月、コロナに1回、インフル疑いに2回、風邪に1回罹患していたのです。
ここから先は個人的に思い当たる要因であり、医学的に因果関係があるのかは不明です。今後UB市に住む方への参考になればよいと思って書いています。
ここから得た教訓は、「熱が下がっても咳が止まらなければ、病院で検査してもらい、適切に治療しよう!」に尽きます。
1-1. 新型コロナウイルス感染症罹患(12月上旬)
2020年冬にコロナ感染が拡大して以来一回もかかっていなかったのですが、遂に2022年12月上旬に罹患してしまいました。
思い当たる原因は、①ここ1年ほど不摂生な食生活と精神的に負担のかかる生活を続けていたことで免疫が低下していたしていた、②長時間マイナス20度を下回る中で長時間外出し、且つ人混みの中にいた、そして③身体が弱っていたところウイルス保持している人に近づいてしまったことだと思っています。
とはいえ熱も基本的には37度台で、他の症状(咳、痰、のどの痛み、鼻水、頭痛、関節痛)も軽い方でした。職場のお医者さんにもらった処方薬や知人からもらった支援物資のお陰で、数日自宅療養した後に快復しました。咳以外は。その時は、トローチやのど飴をなめていればそのうち治ると思っていました。
1-2. (多分)インフルエンザ罹患(12月下旬)
コロナから快復後1週間後、咳がずっと続いていましたが、後遺症は1ヶ月ほど続くと聞いていたので、いつか治るだろうとそこまで気にしていませんでした。
そうして過ごしていると、12月下旬にまた高熱を出しました。この時は38度の高熱が出て、正直コロナより辛かったことを覚えています。症状は発熱の他、咳、痰、鼻水、関節痛でした。以前インフルにかかった時と身体の感覚が似ていたこと、コロナ快復の直後にまたコロナ罹患は可能性として低いだろうということ、そして当時市内でインフルエンザが流行っていたことから、恐らくインフルエンザに罹患したのだと自己判断しました。
12月末に一時帰国を控えていたので、帰国直前は自宅にある漢方や市販薬を飲みまくっていました。そのおかげか、日本出発日には熱は下がり、咳と痰は残るものの、日常生活を送る上では大きな問題はありませんでした。咳をしたら周りの人に見られるのが嫌だったので、早く治すためにトローチや飴を1日に指定された以上になめまくっていたのもこの頃でした(よくないので真似しないでください)。
1-3. 日本一時帰国中の症状
日本滞在中も、咳・鼻水・痰は完全には治りませんでした。とはいえ、トローチと母親おすすめのせき止め漢方、そして慢性鼻炎が悪化した時によく服用していた薬を毎日使うようにしていたら、咳や鼻水の頻度は下がってきました。そのため、耳鼻咽喉科や内科には行かず、日本の生活を満喫していました。1月半ばに受けた人間ドックでも、肺機能に大きな問題はなく、胸部X線にも異常は認められませんでした。
モンゴルに帰国し、汚染された空気を吸った瞬間「ああこれはまた悪化するな」と思いました。案の定、モンゴルの自宅へ向かう車の中でも結構咳をしてしまいました。
1-4. 風邪(?)罹患(2月中旬)
色々な条件が重なってなかなか咳が治らないなあと思って過ごしていたところで、また体調を崩しました。休みの日、友だちとの遊びから帰宅した夜にまた熱っぽくなり、次の日起きると37度ほどありました。その時の症状は熱と頭痛、そしてずっと続いている咳と痰と鼻水だけだったため、恐らく普通の風邪かな?と思っています。
その日はどうしても行きたいコンサートがあったので、解熱剤等を服用し無理やり熱を下げて出かけてしまいました。しかし、熱はごまかせても根本的な体調の悪さはごまかせないのか、上演前の前座の時に一度咳をしたら止まらなくなり、咳で吐きそうになったのでトイレへ駆け込みました。
幸いなことに、コンサートでは多少せき込みましたが唾をのみ込み喉を潤すことでギリギリ保てました。また、特に後半はどの演目も興味深く意識が喉から舞台に向けられたお陰で、身体が咳をするのを忘れてくれていた感覚がありました。
しかし、無理やり活動してしまったことで身体へのダメージを追加で与えてしまったのです。
1-5. また(多分)インフルエンザ罹患(3月上旬)
3月上旬、帰宅してからどんどん身体が重くなるので熱を測ったところ、38度をたたき出してしまいました。次の日は外部の人と共同で行う外仕事予定があり、職場の他の人も多忙だったので休むわけにもいかず、とりあえず栄養ゼリー飲料を飲み、解熱剤をキメて次の日は出勤しました。
解熱剤のお陰で日中は通常通り動けましたが、夕方にかけてどんどん熱が戻ってきました。退勤した後にはもうヘロヘロで、夜はまた熱で倒れました。
この熱は一旦下がりましたが、この発熱をきっかけに、今までと咳の質が変わりました。以前は痰の絡まった湿った咳という、「風邪を引いたらそうなるよな」という咳でしたが、この発熱後は、深く息をすると喉からゼエゼエという音が出るようになりました。喘鳴音がするようになってから何日かは「すぐに普通の咳に戻るだろう、嫌な風邪にかかっちゃったなあ」としか思っていませんでした。
1-6. そして呼吸困難へ
しかし、3月中旬になっても治らず、むしろ少し悪化してしまいました。流石の私もこれでは月末まで乗り切れないと思い、職場のお医者さんに総合風邪薬等を処方してもらい、上司に相談して2日半ほど休みを取りました。毎日用法容量を守って薬を服用し、用事がない時は自宅で安静にしていたにもかかわらず、この咳は収まりまらず、むしろ少し喉が腫れてきました。
次週出勤時点でも咳は治っておらず、一日中ゴホゴホ。これではまずいと思い、再度職場のお医者さんに診てもらいました。その時は聴診はなく、3月上旬の発熱症状を問診されただけでした。「UBでは2月頃にインフルA型が、今はインフルB型が流行っている。恐らく立て続けにインフルに罹ってしまったため、後遺症が続いている。咳が治らず喉が腫れているのもそのためではないか」という診断が下され、腫れを治す薬、痛み止め、そして抗生物質を処方してもらいました。
処方薬を用法容量を守り飲みましたが、2日経っても治らないどころか悪化しました。具体的には、気道が腫れ、咳が増え、痰の色が黄色から白に、質が粘性からさらさらに変化しました。これはやばいんじゃないか?そう思ったその日の夜、冒頭で書いた事態が起きてしまったのです。
「ウランバートル療養日記2:UB市内の大病院での検査編~あれっ意外と待ち時間がない!~」へ続く
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