投稿

5月, 2022の投稿を表示しています

2022年5月24日 5月初旬からモンゴルの大学で個人ゼミつけてもらい始めました

  私はモンゴルではある職場の職員として働いていますが、日本では大学院生です。独力で研究をするのは大学院生の私には難しいため、現地の研究者と関わりつつ研究したいと赴任時より思い続けていました。なんと、その希望が5月初旬から叶うことになりました。  個人ゼミをやってほしいという正直めんどくさいであろう希望を聞き入れてくれたのは、モンゴル国立大学所属で人類学を専門に研究している某先生です。習うことになるまで知りませんでしたが、日本のモンゴル研究者と関わりの深い方です。今私がちまちまと読んでいる『草原と都市 変わりゆくモンゴル』(風媒社)においても、研究協力者として何度か名前が出ていました。  この先生と知り合ったきっかけは今やっている仕事です。仕事は研究時間と体力を食ってくるので少し悩ましかったのですが、やってて良かったなと思いました。  少々本題から脱線します。常日頃感じていることですが、仕事の立場を明かすのと明かさないのとでは人との繋がりやすさや、繋がる人の層が全く変わってきます。恐らく、「モンゴル系地域を対象に研究する文化人類学専攻の院生です」と自己紹介しただけでは、いつかは繋がっていたとは思うものの、ここまでスムーズに話が進まなかっただろうなとは思います。人間(クソデカ主語)がコネクションを形成するには、立場と性格と運のコンビネーションが必要というのは未だに自分にとって面白い点の一つです。どれかが欠けていたらある特定の人物と特定の関係を築けていないのだなあと思うと、全ての人間関係が唯一無二ですね。  さて、本題に戻ります。個人ゼミに関する情報についてざっくりと書き留めていきます。 ・ゼミの場所  大学の某棟にある先生の部屋でゼミをして頂いています。休日に大学に入ると私を怪しむ警備員さんに必ず話しかけられるので、少しひやひやします。「〇〇先生に会いに来ました(嘘ではない)」と言ってスタスタ歩いてやり過ごしています。 ・頻度や内容  基本的に週1回実施しています。今までに2回実施してもらいました。初回は私のやりたいことの聴取と先生からのモンゴルにおける文化人類学の潮流の簡単な紹介、2回目は私の持ってきた研究論文雑誌の目次を概観してその内研究潮流まとめ的な論文を一緒に読みました。2回目のゼミではモンゴル語で書かれた人類学分野の重要文献をいくつか紹介していただいたので、

2022年5月11日 祝日ってそんなに簡単に変えていいんだ

 モンゴル系集団の文化の重要な構成要素の一つに仏教があります。モンゴル国には、信仰度合いは人それぞれとはいえ多くのチベット仏教徒がおり、仏教の開祖・釈迦が悟りを開いた日=成道会が国民の祝日に指定されています。成道会は日本では12月8日ですが、モンゴルでは5月16日でした。数日前までは。  5月9日のモンゴルのネットニュースを見ると、以下のように書かれていました(以下全訳)。 「祝日関連法で指定するように成道会(夏の初月の新月15日目)は国民の休日である。  この日は西暦5月16日と6月14日の2つの日にちにあたる。しかし、ガンダンテクチェンリン寺院より『2022年の5、6月の2回夏の初月を迎えるが、占いにより成道会は6月14日になる』と発表された。  そのため、今月ではなく来月14日(火)が休日となる。」 gogo: Бурхан багшийн их дүйчин өдөр буюу бүх нийтийн амралтын өдөр ирэх сарын 14-нд тохионо  (国民の祝日・成道会は来月14日)  モンゴルではチベット仏教の占い(zurkhai)が重要視されています。旧正月時は言わずもがな、普通の日でも寺院の占いコーナーはにぎわっており、人々の生活の重要な一要素であるとは感じていました。とはいえ、国民の祝日という国家レベルの法律で定める日も占いで簡単に変更されるのかと少し驚いています。日本的(?)な私の感覚では、太陰暦に則って行われる行事の日を、国民の祝日という太陽暦に則って運用されている近代国家システムに繰り込む場合、太陽暦のどこかの日に決めてしまうか、太陽暦の年初までには当該年の祝日を固定するのが良いのではと思ってしまいます。  上記の記事のコメント欄を見る限りでは、モンゴル人もこの変更を、というより仏教という特定宗教の行事が国民の祝日として制定されており、寺院の決定により移動可能な現状を快くは思っていないようです。「宗教行事なのに国民の休日にするの?」、「宗教人だけで祝ってよ」というところでしょうか。  今の職場はモンゴルの国民の休日に休業するのですが、この変更の影響を受けて5月16日は出勤日となってしまいました。そんな…。  ちなみに、モンゴルの太陰暦による日付は新月1日、新月2日…という風に新月から数えて何日目かという数え方をし

2022年5月7日 女心と春の空

  モンゴルでは春は麗らかでのんびりとした季節ではありません。あるモンゴル人の知人曰く、「春の一日にはすべての季節がある」。実際、朝に雪が降ったと思ったら昼には暖かな日差しが降り注ぐ日もありました。春は冬の残留物と夏の先鋭隊がぶつかり合う季節です。ちなみに、昨日(5月6日)は薄い上着一枚で歩けるほど暖かい気温で空も快晴でしたが、今日(5月7日)は雹混じりの雨がバチバチと降っています。  春には冬に降った雪や固まった氷等が溶け出すため、歩く際には足元と頭上へ少々注意を向ける必要があります。モンゴルでは冬に川や湖の表面までもが凍るのですが、気温がプラスを超える日が増えたらもうそれらの上に乗らない方が良いでしょう。  また、砂嵐や竜巻もしばしば起こります。下の動画は4月にウランバートルで撮影したものです。  この前、モンゴルの春に関する言い回しを教えてもらいました。  「хаврын тэнгэр эмэгтэй хүний ааш (khavryn tenger emegtei khunii aash)」。  「春の空は女の性格」、つまりモンゴル版「女心と秋の空」です。  女性の心を変化が激しいものとして天候に喩えることが日本の諺と共通しており、初めてモンゴルのこの言い回しを知った時に面白いと感じました(女の心が変わりやすいかどうかは別問題です)。  モンゴルの春の天候は非常に不安定ですが、その一方で穏やかに晴れて過ごしやすい日もあります。そのような日には、動物たちの巣作りやキラキラ生える緑等いずれ来たる夏の生命力を垣間見ることができ、ワクワクした気分になります。  昨日、モンゴル国出身で現在は別の国に住んでいる友人から連絡がきました。  「モンゴルはいまどんな感じ?」  「暑くて、もう夏が来たような感じがするよ」  「そうなんだ、夏にモンゴルにいたことはある?モンゴルの夏はどう?」  「最高!日本は蒸し暑いけど、モンゴルは湿気がなくて過ごしやすい」  「でしょ!」  モンゴルの夏が待ち遠しいです。

2022年5月2日 ウランバートルのコンビニ

イメージ
 2022年現在、ウランバートルには韓国系のコンビニが2社あります。一つは紫地に黄緑色が目印の「 CU 」、もう一つは黒地に水色の「 GS25 」です。  私のお気に入りは「GS25」なのですが、その理由は店内の雰囲気と品揃えです。店内の雰囲気は日本のファミマやローソンに近く、入ると安心感を覚えます。そういえば、どの国でも構造や雰囲気が万国共通の空間に入ると湧き起こる安心感と地に足がついていない感覚を表す用語がありました(今ぱっと思い出せない…脱空間化とか脱なんちゃら系だった気がします)。コンビニではなくショッピングモールですが、『ショッピングモールから考える』の東浩紀と大山顕も近いことを言っていました。 東  それに加えて重要なのは、世界中のモールが同じ文法でつくられているということ。シンガポールでもドバイでもミネアポリスでも、モールのなかだけはルールが統一されているので、フロアマップを見なくてもどこになにがあるのかが直感的にわかる。昔は海外旅行では、その街のどこになにがあるのかを知るところから旅が始まっていた。そこにすごく時間がかかったのが、モールではまったく必要ない。不思議な空間ですね。 幻冬舎plus:ショッピングモールから考える 第2階 ショッピングモールのルールは、世界共通 東浩紀/大山顕  より引用  CUもGS25も、基本的に日本のファミリーマートやローソンといったコンビニと同じ文法でつくられています。入口からレジまでの商品の配置、客の流れ、店員の対応、レジ横のホットスナック等々とても馴染みのあるものばかりです。耳を塞ぎ、商品に印刷されたキリル文字さえ無視すれば、どこの国にいるのか分からなくなりそうです。韓国系コンビニだから日本のそれと似てくると言われればそれまでですが、それでもモンゴルで日本のコンビニと同じ文法を用いたコンビニができたというのは面白いことだと思います。  一方、それとは反対にローカル化も起きています。GS25のレジ横のホットスナックには、モンゴル料理のマントーンボーズやホーショールが並んでいます。旧正月前後の時期には、コーヒーコーナーのラインナップにスーテーツァイが入っていました(店舗により今もあり)。初めてモンゴルのコンビニに入った時、グローバル化はそれをした瞬間ローカル化する例がここに現れているとしみじみした記憶があります。これ

2022年5月1日 麗しの「我が故郷」

 現在、日本の外務大臣がモンゴルに訪問中です。ウクライナ情勢の事態改善を主な目的として中央アジア諸国+モンゴルを訪問しているようです。モンゴルに関して言えば、日本とモンゴルは今年外交関係樹立50周年を迎えたため、その一環としての訪問という側面もあります。 NHK:林外相 中央アジアの旧ソ連諸国など訪問へ 大型連休の期間に(2022年4月17日 5時32分) 外務省HP:「麗しきモンゴル」と日本  外務省HPに掲載されている大臣の寄稿文の冒頭は、モンゴルの偉大な詩人D.ナツァグドルジの最も有名な作品「我が故郷(Minii nutag)」の第一段落です。この詩はモンゴル国民であれば、誇張ではなく知らない人はいない程有名かつ重要な詩です。ヘンティ、ハンガイ、サヤン*…、メネン、シャルガ、ノミン…と、モンゴル国内の美しい里々の地名がリズム良く連なり、詩を通して母なる地を目の前に浮かび上がらせます。安易に散文でモンゴルの自然を褒めたり、チンギス・ハーンや相撲などステレオタイプな単語を出すよりも、この詩を文章の冒頭に置くことによりモンゴル人の心をぐっと掴む文章になったのではないかと思います。  私自身は、文学はそれ単体で美しく、役に立たせようとして学ぶのは文学を読む姿勢としていかがなものかと考えますが、今回の寄稿文やウクライナのゼレンシキー大統領の各国に向けた演説文を見て思ったことがあります。外交を含む「人との関係を築く」営みにおいて、教養は必要なものです。相手の住む社会で広く共有されている精神世界構成物を知り、時宜を得た使い方をすると「こいつ、分かってるな」とその相手は感じることでしょう。そう思ってもらうと、一気に心を掴むことができ、相手の世界を開いて多少なりとも受け入れてもらえ、また反対にこちらの話を聞いてもらう下地を作ることができます。その意味で、この文章を考えた人たちはモンゴルのことをきちんと学んだ「分かっている」人たちだと、歴は浅いですがモンゴル関係の勉強をしている私は唸りました。  個人的な話になりますが、この詩の一段落目は私が数年前に主催したモンゴル語スピーチコンテストの暗記課題文でした。課題文にこれを選んだのは、(そもそも私がモンゴル文学の知識が浅く有名どころしか知らないというのが大きいのですが)、モンゴル語の美しさの神髄を最も良く発揮するのは詩であり、また、そ